コラム 格闘技道場 稽古記
2001/04/18
格闘技、その始まりは大学時代の少林寺拳法が最初です。
小学校から高校まで特にスポーツはしていませんでした。
中学の時に一度水泳部に所属していましたが、すぐ辞めてしまいました。
運動系倶楽部活動に憧れはありましたが、
内気な性格で自分から進んで何かの倶楽部に属することはしませんでした。
二浪の末、大学入学、この四年間で何かやり遂げたい。
そう思い少林寺拳法を選んだわけですが、
その理由として、
資格感覚で黒帯が取れる。しかも空手など他の武道だと高校にもあり、
初心者として始めるのは、少林寺拳法が最適かなと入部しました。
自分から入部すると決めたわけですが、
そんな学生は少なく、大半が先輩の勧誘で入部する学生ばかりでした。
体育会の人気は当時からなく、テニスなど同好会がもてはやされていました。
体育会特有の上下関係、それが敬遠されていました。

大学生活の大半を少林寺拳法部で過ごし、卒業時には三段を取りました。
そんな話を少しずつ書いていきます。

2001/04/25
母校、少林寺拳法部よりうれしいメールが届きました。
7名の新入生が入部したとのことです。
勧誘活動の一環として、体験練習が行なわれたのですが、
その様子を新聞社が取材したとのことです。
コネもあったのでしょうが、部員数の減少、それに対するOBの勧誘応援活動、
それが新聞の題材として取り上げられました。
7名の新入部員、実に大きいです。
昨年4年生が卒業して、入部者がいなければ新2年生が2人のみになってしまうところでした。
(1名5年生として残る奴がいましたが)
新入生には是非とも4年間、少林寺拳法部員として卒業してもらいたい所です。

卒業して十数年、私が大学に帰るべき場所があるのは少林寺拳法部員として
4年間過ごしたからなのですよね。

00/05/09
私が入学した時、少林寺拳法部入部したのは私を含め6人でした。
その当時から体育会色は薄れ始めてはいたのですが、
学内学ランで闊歩していたのは、
体育会武道系のサークルの一部と体育会本部のみでした。
当時2時間近く通学時間を要していた自分として、
昔の友人と出くわすのはいやなものでした。
ちょうど我々が入部して、3年生が幹部となったとき、
特別な行事以外は学ランが廃止となり、普段着での通学となりました。

学ランを着ることがいやでなくなったのは、しばらくしてからでした。
武道館で大会があり、各校学ラン姿が集まりだす。
私服は極一部だったと思います。
大学同士横のつながりもできだし、学ランが無意識に着られるようになったとき、
学ランが好きになりました。
逆に学ランで常に通している大学をうらやましくさえ思う時もありました。

学ラン姿はある意味、無形文化財のようにも思えます。
(学ランは有形かもしれないが)
上下関係、規律、ひところ企業の採用基準として好まれた形式。
それは先輩から後輩へ受けつなげられる文化です。

最近の勧誘アピールとして“上下関係ありません“
そんな歌い文句がありました。
今の流れで仕方ないとおもいつつ、
部室の乱雑さを見て悲しく思う面があるのは否めません。

00/05/16
『ドカベン』というTVアニメ、ケーブルテレビで観ています。
山田太郎のリードがおもしろく思います。
山田太郎の構えるミットめがけ、里中悟が投げ込む。
投球の組み立てが丁寧に解説してあるアニメかと思います。
内角球のきわどい攻め、体をのけぞらさせて、外角ギリギリに速い球で打ち取る。
狭いストライクゾーンをいかに有効に使うか、実際のプロ野球を観ていても参考になります。

アンディ・フグ極真の大会で勝ち進んでいったとき、脳天かかと落としで有名となりました。
それと同時に彼の必殺技はローキックであった。
ローキックで相手の注意を下段に集中させる。
強烈なローキック、そしてガードの薄れた上段へ、脳天かかと落とし。
ちょうど山田太郎のリードのようにズバリ決まる。

フルコンタクト系の立ち技格闘技、コンビネーションが重要となります。
試合に臨む時、すざまじい恐怖を感じます。
その恐怖を克服して、自らコンビネーションを繰り出し、相手の動きも注意を払う。
それでこそ、一流の選手、格闘家なのでしょう。

00/05/23
極真カラテ、やっぱり強いかなと思います。
武道の本質としては、『己の身を守ること』にあるとは思うのですが、
コブシで石をも砕いてしまうのですからね。
『先手必勝』ストレートでよい表現だと思います。
人間と人間が素手でぶつかり合う場合、最も実用的戦闘方法です。

最強を誇る極真カラテがムエタイとの闘争で、グローブをはめた所から、
ズレが生じたように思います。
本来、短期決戦の空手がリングの上でルールに負かされました。

スポーツとしてのキックボクシングは武道で言うところの左前のスタイルでしか練習しません。
(または、サウスポーとして右前の構え)
左ジャブから利き腕の右ストレート、さらに蹴りにつなげる。
3分という時間配分も練習の段階から体に染み込ませていく。
あくまでも、練習は究極の目標である試合に勝つ。その一点に向けて練習されます。

空手をはじめ武道は、試合という形式は日頃の鍛錬の成果を計る手段でしかありませんでした。

武道同士、格闘技同士の優劣を決める手段として設定されたグローブマッチの形式。
それが、各武道、格闘技の個性を喪失させてしまっている原因と思います。

00/06/01
プロレスも好きです。
新日本プロレス、アントニオ猪木VSストロング小林戦
最初に印象に残った試合です。
そしてタイガーマスク(初代)の出現でさらに熱が上がり、
ダイナマイト・キッド、長州力と興味が広がっていった。
UWFの試合も後楽園ホールで観戦しました。
佐山が止めた後も、佐山に対する興味は残り、
スーパータイガージムも見学にも行きました。
そこで見た、佐山聡は私より背は低かった。
173cmとの発表はありがちな誇大表示である。
それで、前田日明とも渡り合った佐山にあらためて感動した。

UWF。選手がロープに飛ばされて戻ってくるのはオカシイ。
前前からあるプロレスに対する疑問を解決した団体の登場となった。
グランドの展開は地味であった。
<チキンウイング・フェイスロック>、<V1アームロック>
派手なところはないが、蹴りのやりあいなど凄みがある。

そのUWFの流れをくむ総合格闘技系の現在の隆盛。
UWFの偉大さを感じます。

00/06/06
プロレスラー、自分で脚本を書き、演出し、そして主演する。
瞬間瞬間で終わる舞台です。
試合前のアジテーション、格闘家として否定的な人もいますが、
あれはあれでおもしろいと思います。
最近の新日はじめトップレスラーになる要素として、
多少臭く聞こえも、弁舌のよしあしが重要になってきています。

アメリカンプロレスWWFの影響が大きいと思われます。
ケーブルTVで観る機会も増えました。
あちらでは、オーナーが全体の流れ(選手同士の抗争)にかかわり、
自らの家庭をも話題として提供している。
選手の楽屋裏の会話をもオンエアーされ、すべての因縁が試合の流れに左右する。
ときには、試合終了後抗争相手に襲撃される場面も放映される。

あちらの観客は各自応援している選手のプラカードを揚げ、
体全体で試合を楽しんでいる。
アメリカンプロレス、ビルドアップされた肉体が大技でぶつかり合い、
わかりやすいストーリーではあります。

日本でのプロレスの流れは今ぐらいが丁度良いと思います。
プロレスラー各個人の創意工夫がある程度許され、
小技の攻防も観客が認めてくれる。
そんな中での、ショーアップされたプロレス。
そこには、筋書きのないドラマがあります。

00/06/14
新日プロレス、ゴールデンタイムの放送から深夜帯に移ってどのくらい経つでしょう。
プロレス団体は多く設立、時には消えて、時には統合され。
ケーブルTVでも『みちのくプロレス』『登竜門プロレス』などの放映もされています。
新日の2時間枠での放送もいいですね。
若手の試合も楽しめます。
格闘技ブーム続く中、マニア向けの番組となってしまったのでしょうか、

テレビ朝日系の放送も、一時間ではなく、深夜帯に移ったのですから
長時間放映すべきだと思います。
深夜帯マニアしか見ないので、マニヤに喜ばれる番組制作を望みます。

00/06/21
大学時代、少林寺拳法。そして社会人となり、シュートボクシングを始めました。
白山にあるシュートボクシング総本山シーザージムに入門しました。
平直行(現正道会館柔術師範)、大村勝己、阿部健一、大江真、
前田健作(現チームドラゴン)、長井光也(現プロレスラー)
コーチにはシンサック(現SVG主催)がいた。

フロア半面にリングが作られ、壁側はガラス張りになっている。
合同練習、ジャブ、ストレート、キックに始まり、キックミットの蹴りこみ、
テックニックと称して、パンチ無しの軽スパーリング。
練習の最後は練習生、リングに上がり受身の練習。
夏場は汗だくになり、Tシャツがぐしゃぐしゃになる。

武道と違い、試合に勝つことが最終目標のルールの上に立つ格闘技。
スパーリング、減量、そして試合。
ジムの練習生として、一つの大きな境目となるのが試合である。
試合を堺に奮起してのめりこむ者もいれば、姿を消してしまう者もいる。